要介護認定は受けたが

 市役所から紹介された「前のめりでお節介なケアマネのOさん」は,家族だけで対応するのは大変だから,ヘルパーを入れてお父さんの負担を緩和しなければならないと力説し,近所のH先生が診療時間外に母に会ってくれると約束を取り付けてくれたので,僕と父は,ダメもとで母をH先生のところへ連れていく作戦をたてた。
 介護認定を受けるための「認定調査票」は,市役所の職員が自宅を訪ねてくれるので,母と会ってもらいさえすれば,母が調査に協力をしなくても不機嫌でも,そのこと自体からいろいろと状況を知ってもらえるが,「主治医意見書」は,病院が大嫌いで,自分の身体には何も悪いところはないと確信している母を病院に連れていくことがどうしてもできなかったので,今までその作成を断念し,介護認定の申請もできないでいた。何カ所かの病院で事情を説明し,通常の診察時間に母を連れてくることが不可能だから方法を工夫してほしい,または往診を検討してほしいと相談したが,どの病院も冷たかった。お困りの家族は多く,お宅だけを特別扱いするわけにはいきませんということだった。主治医意見書作成の段階で半年以上頓挫した。
 けれども,「前のめりでお節介なケアマネのOさん」に背中を押されて,ダメもとで,Hクリニックにチャレンジすることになったのだ。それでも,僕はOさんに「無理ですよ。Oさんはうちの母が凄いのを知らないからそんな気楽なことを言うけど病院なんて無理。絶対無理。」と言っていた。きっと,母は「行く必要ない!!」「どこも悪くない!」「(病院には)行きません!」と,歯を食いしばるようにきっぱりと宣言し,テコでも動かず,すべての段取りが無になることが明らかであるような気がしたからである。
 実際,一度目は「65歳になったら皆が健康診断に行くことになっているからね」「お父さんも行くよ。近くだから行こう。」と言って外出を促したけれど,母は「行きません!」と宣言して一歩たりとも家を出ようとせず,失敗した。
 二度目は,「健康診断」という言葉を使わず,T町(母の実家のある町)に行くフリをし,ようやくの思いで車に乗せたが,Hクリニックの前で父が降りても,母は降りようとしなかった。しかし,それと気づいた看護師さんが出てきてくれて,母に優しく声をかけると,なんと母は車を降り,連れられて中に入っていった!幸い,Hクリニックは,小じんまりした綺麗な診療所であり,病院ぽくなかったので,「綺麗なとこやねえ」と母は上機嫌だった。加えて,H先生も,看護師さんも優しく,そのことが顔に表れているような人たちだったので,母も安心し,「どこも悪いところはないんですよ。」と言いながらも,ふつうに診察を受け,聴診器も胸にあてさせた。これにより,主治医意見書を作成してもらい,要介護認定を受け,ヘルパーさんを入れることができる状態にはなった。なお,ここの看護師さんは,後日,この母から採血まで成し遂げたし,母がどんなことがあっても絶対に人に切らせることのなかった足と手の長い爪(長すぎて巻いている)を見事に切ったのだ。
 このときに思ったのは,一方で,母は短期記憶や日常生活に必要な判断能力を衰えさせたが,他方で,人を見抜く能力は研ぎすまされているのではないかということだった。 この人は「もひとつだな」「どうしよう」と私が少し疑問を持つヘルパーは,私が何か言うまでもなく,母からはいきなり拒否され,容赦なく排除されていたから・・・。掃除をしにきたそのヘルパーは,憮然とした表情で「拒否されるんだから仕方ないですよね」と言わんばかりに帰っていくが,やはりだめな人だったと母に感心した。

 僕と父は家の掃除をする人を必要としているのではなく,必要なのは母の楽しい話相手であり,僕が必要としているのは,父を励ましてくれる明るい人だった。しかし,そういうヘルパーさんにはなかなか出会えず,母はしばしばヘルパーを追い返し,その後,父に対し「二度と来させるな!」と歯を強く噛みしめながら言い,鬼の形相で父に約束させるのだ。追い返されるヘルパーの中には,自分が追い返されるのは不当だと考え,憮然とするのみならず,猛烈に怒るまくる母の顔を見て笑う者がいたが,僕は,思わず「笑うのはおかしいやろ。認知症を知らないのか?」「笑うのは人格を尊重していない証拠。介護の基本がわかってないのじゃないのか!」と怒鳴ってしまった。
 また,せっかく母が穏やかにしているのに,ヘルパーが来たとたんに不穏になり,それを意に介さず,「掃除をさせてもらえなければ私だって困るんですけど」という態度で家の中に入るヘルパーに,母が激高して手に負えなくなり,父に「(ヘルパーを)追い返せ!」と怒鳴るから,父にすれば,せっかく穏やかに過ごしていたのに,ヘルパーが来て台無しじゃないかとなる。「何がヘルパー(助ける人)だ!逆効果だ!」と,父はよく僕に訴えていたが,僕も頭が痛かった。ヘルパーを指名したかったが,無理な話だった。

(徘徊③ 最強悪態モード)
 通常の日は,母が「今から直ぐに来てほしい」と言っても,「S太一人置いていかれへんやろ?S太のご飯もまだ作ってないし。」と言うと,ハッとした感じで気づき,「そうか。そうやねー。Sちゃんが可愛そうやね。そらあかんわ。ちゃんとSちゃのんことしたってね。」と納得していた。S太が小さな子どもであることを覚えているからだ。このころはまだ,S太の写真とか録画したDVDを持っていくと,これを見て大いに楽しんでいた。
 しかし,不穏な感じで「T町に帰ります。一人でも行きます。」と電話がかかってきたときは,「明日行こうか?」と言っても「明日じゃあかんの。」と言い「名前思い出されへんけど悪い奴もおるし。」と言うので,「悪い奴って,お父さん?」と聞くと「お父さん,おらへんよ!」と言い,そして「怖いの。すぐに来て!!」と怒鳴った。こんなときは,いくら「S太が」と言ってもだめで,無理に説得しようとすると,強く歯を噛みしめて「・・もう来ません!!(もう来んでいい!という意味だと思う)」と言って電話は切られた。 ただし,この日は家を出た後,直ぐ近所にいるMおばあちゃんの家にかけこんだらしい(Mおばあちゃんは母よりずいぶん年長で,優しい人だから,母はいつも慕っていた。)。僕は,C子に出動を要請した。その後,実家に着いたC子によると,Mさん(Mおばあちゃんの息子)から「少し落ち着いてきたけど,もう少しいてもらいますよ。」と言ってもらったので甘えることとしたとのことだった。しばらくしたら,小さな西瓜を大事そうに抱えた母が,Mおばあちゃんの家からニコニコしながら出てきた。母は,C子を見ると正気に戻り,家に誰も留守番のいないことに気づいて,慌てて家の中に入ったが,この日これでは終わらなかった。
 24時過ぎ,父から電話があり,替わった母が僕に対し,いきなり「いったい私に何をしたの?言いなさい!私が何を悪いことしたの?!年はとったけど私まだボケていないよ!謝りなさい!!」と言う。「何も言ってないやんか!」,真夜中だし,二度目の対応にうんざりした僕の声は少し大きくなってしまったと思う。すると,母は更に興奮し,「私を殺そうとしたんか?警察呼ぶよ!!」・・・延々と悪態をついた。   
 やむを得ず,僕はC子に出動を願った。・・・申し訳ない・・・。