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夕方の電話と徘徊

 夕方、僕の携帯電話はズボンのポケットの中で振動する。午後7時を過ぎると必ず母から電話がかかってくる。出ると、「まさと君?春美です。お世話になりました。いまから実家に帰ります。」と寂しそうな声で話しかけてくる。
僕は、「そうー?。寂しくなるねー。でも、T町は遠いし、今からだと夜になっちゃうね・・・。あ!そうだ。明日だったら僕仕事を休めるから、車で送ってあげようか?」と言う。
すると、母は「え!そうしてくれる?うれしいわ。じゃあ、明日待ってるね。何時に来てくれるの?」「そうやねえ。朝の10時でいい?」「もう少し早くならない?」「うん、わかった。じゃあ、頑張って9時に迎えにいくわ」 と言う。

 仕事に戻ると、10分後、再び母から電話があり、出ると「今日は何時に仕事終わるの?聞いてもらいたいことがあるんだけど。」とやはり暗い声。
僕は「どうしたの?もう少しで仕事終わるから。終わったら、そちらへ行くよ。あ!そうだ。お母さんの好きなハンペンを買ってもっていくから楽しみにしてて。」と言う。
すると、母「え!私、ハンペン大好きなの。」。以下「そうやろ。買って持っていくからー。家で待っててねー。」「何時くらいになるの?」「そうやね。もう少しだけ仕事が残っているから9時くらいかな」「え?そんなに遅くなるの?」「んー。頑張って8時くらいに行くね。」「うん。じゃあ待ってますね」と続く。
とはいうものの、僕の家は大阪の天満橋であり、今夜は、生駒市Z町にある実家に帰る予定はないし、もう店は閉まっているので今夕はハンペンは買いに行かないし、もう少し仕事をする予定だ。
 仕事に戻ると、20分後、また携帯電話が振動する。出ないと父が大変な目に遭うから、会議中でも懇親会中でも、僕は、仕事上の急な電話がかかってきたような感じを装って廊下に出て母と話しをする。
今度は深刻な感じで「私も年をとってね、もう65歳になったの。だから、そろそろ実家に帰ろうと思うの。まさと君、いまから連れていってくれない?」と母、「オッケーわかった。でもね、今日はもう遅いから、明日朝早くに出発しようよ。明日朝7時に車で迎えにいくよ。それでいい?」と僕が言うと、母は「じゃあ、お願いね」と言った。

 母は65歳ではなく既に71歳なのだが、なぜか65歳で年齢が止まっている。祖母が65歳で亡くなっているから、その年齢は、母にとって、とても重要な意味を持っているのかも知れない。ほぼ毎日、夕方になると何度も何度も電話がかかってくるが、出ないとどうなるかというと、母は、母の実家(三重県桑名郡T町。車で3時間かかる場所)を目指して家を出ようとし、父が引き留めようとするが、そうすると母は激高して家を飛び出し、母が正気を取り戻すまで、父がその後を延々と追跡することになる。夏の暑い晩であっても冬の寒い晩であっても。母は歩くのが早くて、三歳年上の父(当時74歳)はしばしば母を見失う。実家の南側には交通量の多い車道があるから、母がそこを横切らないかも心配。だから、僕は母からの電話には必ず出て、心を落ち着かせ、家の中で僕を待つ気持ちにさせるためにあらゆる言葉を探すのだ。

(徘徊① 娘時代モード)
 今日も午後7時を過ぎると母から電話がかかってくる。
どうも最近は、夕方になると、65歳に戻るどころではなく、娘時代にまで遡っているようだ。
母は常々父のことを「お父さん」と呼んでいた。僕が小さい頃からそう呼んでいた。僕と妹二人の前では、世の中によくあるとおり「お父さん」と呼んでいた。そしてこれもまたよくあるとおり、僕らが大人になった後も「お父さん」と呼び続けていた。ところが、最近は夕方になると「お父さん」ではなく「お父ちゃん」と言うようになった。文脈からして、それは父ではなく既に亡くなっている祖父のことを指しているということはすぐにわかり、そしてそのことがわかったときに初めて、母は子どもの頃、自分の父親のことを、可愛く「お父ちゃん」と呼んでいたことを知った。
母が娘時代モードに入ると、話し方まで可愛くなり、僕に、「お父ちゃんがね、春美はどうしとるんじゃって心配してるの。私もがんばってるから、お父ちゃんもがんばってねーって励ますの。」と話し始める。しばらく僕は聞き入っているが、仕事に戻らねばならないので、話しを合わせて、「そうか、そしたら久しぶりにT町へ帰ろうか。長いこと帰ってないもんなあ。お盆に帰ったきりだったね。明日行こうか。明日やったら車で連れていってあげられるから。」「え?そう?じゃあ明日?家で待ってたらいい?」「うん。いいよ。じゃあ明日ね。今日は早く休んでてね」と言って電話を切る。
 んー。今の電話では、「今日帰る」とは言ってなかったな。今夜は大丈夫なのかなと思いながら、懇親会の会場に戻っていると、30分くらいしてまた母から僕の携帯電話に電話がかかってきた。僕は、緊急の仕事の電話がはいったかのような顔をしながら、また廊下に出る。すると、母は娘時代のままだった。機嫌は悪くない。ただ、まずい方向に進展している。「Z町1丁目2番3号にいるんだけど、お父ちゃんに帰るのが遅くなるって電話をしないと・・・」、「遅いと、お父ちゃんすっごく怒るのよー」という内容だったから。僕は、できるだけ安心させるような穏やかな声で、「わかった。お父ちゃんには、僕からちゃんと電話しとくね。」「今日は、僕の仕事を手伝ってもらっていて遅くなりすぎたから、泊まってもらうって。明日の朝、家まで送りますので安心してくださいって言っておくね。」「わあ、ありがとう。じゃあお願いね」。・・・とりあえず、しのいだ。
だが、これで終わるとは限らない。
 案の定、さらに30分経ってかかってきた電話では、「お父さんが怖い!今すぐT町に連れていってほしい!」と泣き叫んでいる。なんでこんな展開になったんだろ?いつのまにか「お父さん」に戻ってるしと思った。そしたら、その後すぐに、今度は父から電話があり、「あかん。出ていった。」と言う。・・・しかたない。僕は父に「お父さん、いける?お母さんにつかず離れずついていって! C子に電話して、そちらに直ぐ車で行ってもらうわ。30分くらい頑張って凌いどって。」と言い、すぐに妹のC子に電話をした。幸いすぐに電話がつながった。C子は実家から車で20分くらいのところに住んでいる。僕は大阪だからすぐには行けないので、緊急事態のときは頼りにしていた。とても寒い日だったので、外に出た母が心配だ。
30分後、C子から電話があり「今、お母さんとお父さんを車に乗せて帰るとこ。」「大丈夫。お母さんは元に戻ってる。『寒い、寒い』って。」。さらに20分後、C子から電話があり、「今ココアを飲ませてるところ」、「もう落ち着いたよ。私に『遅くにごめんね』と言ってるし。」と報告があった。

 いわゆる「徘徊」とは、意味なくさまよっているのではなく、子ども時代に戻って家に帰ろうとしていただけなんだって思った。
娘になった母の頭の中を想像してみた。
 「おうちに帰る。おうちに帰る。帰る。帰る。帰る。帰る・・・・寒っ。寒ーっ。寒いっ。寒い。ここはどこ?早く家に戻らなきゃ。寒い。寒い。寒い。あ!C子?あ!お父さん?」あまりにも寒くて、当初考えていたことを忘れて正気に戻ったのだろうと思った。

(徘徊② 父不審モード)
 父によると、昼間の母はまだまとも。新聞も読むし、テレビのニュースも見るし、ゴミ当番の日も気にしてるし。確かに近年は出不精になり、近くのスーパーへの買い物もすべて父に任せ、庭で雑草をむしったり、家の中で物の整理作業ばかりしているから少し変だけど、昔から(父が会社に行ってたときも)料理は父が作っていたから、変化に気づきにくくはあった。
別の日の夕方の電話では、母は、「お父さんがダラケている。けしからん!」と言い、「お父さんが変。妙に口数が少ない。」と言って怒っている。こんな日は、回数を重ねるたびに怒りは増幅していき、僕がいくら優しく声をかけても効果はない。「直ぐにそちらに行くからね」って言っても「何を言うとるの?仕事じゃないの?来んでもええ!」とはねつけられる。「ハンペン買っていくからね」と言っても、「そんなもんいらへん!」とはねつけられる。そのまま状況は悪化し、まもなく、 父から「あかん。お母さん出てった!」と言う電話が入った。実家は奈良で、僕の自宅と職場は大阪で、僕はまだまだ仕事時間中なので、対応は父に委ねるほかないと思った。 父は、母を追跡し、時々母に声をかけて家に帰ろうと促すが、母は、父の姿を見ると、思い切り強く歯を噛みしめながら「ついてきなさんなっ!」とか「向こうへ行けちゅうの!」と激しく怒鳴り、さらに小走りで逃げる。 対処方法を問うてくる父からの電話に、僕は「今はまだ、母にとってお父さんは、『不審者』になっているから、姿を見せたらあかん。わからないように尾行して。」と指示するが、父の尾行は母にバレバレで、母は、道行く人に「警察を呼んでください!」と助けを求めている。
 その後、母は、明るく電気のついたスーパーに飛び込んで助けを求めた。ただし、ここまで歩いてくると母も少し落ち着くみたいで、その後、スーパーに入ってきた父がスーパーの店員に事情を説明して母を引き取るのだ。当初は、これくらいでたいてい収まっていた。また、家の前から坂を下っていくと、どの道を下っても、明るいスーパーがその先に見え、母はたいてい最終的には明るい方へ向くので、スーパーにたどり着くことが多っかた。母が家を出てから約30分後、ようやく事態は収拾し、父から僕に「今、お母さんと家に帰ったとこ。」「もう大丈夫。すまんかった。」と電話が入るが、この電話が入るまで、僕は気がかりで仕事に集中できない。

 ずっとあとで気づいたが、母は、父が定年で会社を退職したことを覚えられないようだった。いつも会社に行っていた父が会社に行かず家にいるから、「仕事にも行かずに家でだらけている」となっていたのだ。また、母の言動にどう対応してよいかわからず、途方に暮れた父が母の顔を見て言葉を失っていたのを、母は「口数が少なくてお父さんが変」と感じていたのだと思う。