留守番してびっくり短期記憶障害

 実家滞在中,父の友達からの電話に出ていた父が,「いやあ。家内が病気なので,申し訳ないけど失礼させていただくわ・・・」など話していたので,電話が終わるや,僕は父に対し「お父さん,行っておいでよ。たまには息抜きしないと。一時的な病気ではないんだから。」と言って,父が飲みに行く日の夕方,僕は実家で母と留守番をすることにした。
 僕は,カレーの材料を買って実家に行き,カレーを作りながら母と話した。日が沈み,暗くなってくると,母は落ち着かなくなり,家の中の物を取り出したり片づけたりしているようだった。「お母さん,カレーできたよ。食べようか。」と声をかけて居間に呼ぶと,今度は,僕に対し,「お父さん遅いね。いつもなら,遅くなると,何時に帰るとか,お父さんから電話があるはずなのに。」と言っている。これに対し,僕は,さりげなく「あ,そういえば,お父さん,『今日は仕事が遅くなる』って『だから,先に夕食たべておいて』って言ってたよ。」と言うと,母は「そうだった?そう。それならいいけどね。」と言う。さあ食べようかと声をかけても,全く食べようとはせず,一分後,母は,今の会話が全くなかったように,僕に対し,「お父さん遅いね。いつもなら,何時に帰るとか言ってお父さんから電話がかかってくるんだけど。」と言っている。え?と思う。短期記憶に問題が出てきていたことはもちろん知っているけど,今話したばかりだよね?と驚いた。もちろん,もう「お母さん,さっき話したばかりだけど,お父さんはね・・」と言うことはもうない。僕はもう一度,「あ,そういえば,お父さん,『今日は仕事が遅くなる』って『だから,先に夕食たべておいて』って言ってたよ。」と言うと,母も,「そうだった?そう。それならいいけどね。」と繰り返す。二分後,母は,初めて言うように「お父さん遅いね。せっかく真人が来てるんだから早く帰るよう電話してみるわ。」と言う(少し違うね!)。
 僕は,せっかく母のことは忘れて友人との飲み会を楽しんでいるであろう父に今電話をかけさせたら台無しじゃんと思ったので,「今日はね,お父さん仕事で飲み会があって遅くなるらしいよ。僕がここに来ることを知ってるから安心して電話してこないんじゃない。」と言ってみた。すると母は「あ,そうなのね。じゃあいいわね。」と言って納得した。すると一分後(本当に一分後),「お父さん遅いねえ。せっかく真人が来てるんだから早く帰るよう電話してみるわ。」と言う。これが本当に何十回(いや滞在時間から逆算すると100回を越えてそう。本当に一分とか二分とかの間隔で延々と繰り返されたのだから。)も繰り返された。「カレー食べようか」と言っても全く食べようとせず(?なんで?),「おいしいよこれ」と言ってスプーンで口まで運ぶと,恥ずかしがるような顔で「ふふふ」と言ってようやく一口だけ食べ,「おいしい?」と聞くとうれしそうに「おいしい」と言うが,やはりそのあとも自分では全く食べようとしなかった(?なんで?)。そしてまた「お父さん遅いね」って言う。
 もしかして,毎晩こうなのか?毎晩父親はこの繰り返し攻撃にあっているのか?と驚嘆した。これが毎晩では気が狂ってしまいそうだ。

 実は,この日,この短期記憶障害の状況を目の当たりにするまでは,ここまでとは思っていなかったので,父が,母の認知症を理解せず,たとえば,物を移動させる母をあまり我慢せずに叱ったり,ぜんぜん夕食を食べようとしない母をあまり我慢せずに叱ったり,なかなか寝ようとしない母をあまり我慢せずに叱ったりすることによって,母を怒らせ,不穏を生じさせているところが少なからずあるのではないかと思っていた。実際,実家滞在中に,父が母に「こんな物をこちらに運んで来るなって言うたやろ」と怒った口調で言うと,母は目に涙をいっぱいためて「もう!そんな言い方をするんやったら・・・死ぬよ!」と言って唇をふるわせるような場面を目の当たりにしたことがあったからそう思っていたが,それだけが原因ではないなと感じた。仮に父のそのような言動がきっかけになっていたとしても,それは誠に仕方のないことだと思った。

(火事と泥棒)
 母にとって,この家はとても大切。G駅にほど近い新しい住宅地として昭和50年代前半に売り出された。母にとって(おそらく父にとっても)夢にまで見た庭付き一戸建て。父は母のこの夢を叶えるために,贅沢をせず,ゴルフもせず,こつこつと住宅ローンの返済に精を出していた。だから,母にとっては,この家が火事になっては大変!泥棒が入り込んだら大変!なのであり,母の頭には常にこのことがあった。認知症になってからも,火事と泥棒のことは母の頭から消えることはなかったはず。ずいぶんと認知症が進んで他の話題には興味を持たなくなった頃にさえ,父と僕が火災保険のことについて話していたとき,母が突如話しに入ってきて,「お父さん,火災保険はちゃんとかけておいてね」と言ったこともあったのだから。
 留守番をしたこの日,家の中を見渡していて気づいたが,台所の壁に最近取り付けられたと思われるお風呂のスイッチの緑のライトの上にマジックで黒く塗りつぶされた小さな紙が張り付けてあるのを見つけた。きっと,母が気にするので父が張り付けたのだろうと容易に推測できた。
 夜も遅くなってきたので,僕は台所の電灯を消し,隣接する居間(和室)へ移動したが,台所と居間の間の襖はあけたままにしておいた。すると,台所の天井近くにある緑色の小さな光を見て母は「あれは何?」と言うので,僕は,「あれはガス漏れの探知機だね」と言い「万一ガス漏れがあったらブザーがなって知らせてくれるから安心だね。」と付け加えた。母は,その光がとても気になるらしく,その後は,「お父さん遅いね」,「真人来てるから電話するね」,「あの電気はなに?」の繰り返しに変わった。どうしても気になるらしいので,僕は,台所のテーブルの上立ち,手を伸ばして,父がしたのと同じように,紙をマジックで黒く塗りつぶしたものを緑色の小さなライトの上に張り付けた。
 すなわち,母は,「常時点灯しているライトは,いずれそこが熱を持って高温になり,やがて発火する」と考えるから気が気ではないのである。
また,母の考えでは,「家を留守にすると泥棒が入る」ので,家を留守にして全員で外出することはできず,母と外出するときは父に留守番をしてもらい,父と母と三人で出かけるときはC子に来てもらいC子に留守番をしてもらう必要があった。

 突然,母が「電話かかってきた!」と言って応接間の方にかけていった。応接間に固定電話が設置されていたのだが,僕は電話が鳴っているのに気づかなかった。やはり,母は父からの電話を待ちわびていたようだ。うれしそうな顔で居間に戻ってきて「お父さん,駅に着いたって」と僕に告げた。何て嬉しそうにするのだろうと思った。途中,僕は父を安心させるために,「今,テレビを見ながら一緒にカレーを食べているとこ」と書いたメールを送っていた。父はもちろんこれを見ていたと思うのだが,母が気になるのか帰宅はずいぶんと早目だった。「もう少しゆっくりしてくればよかったのに」と僕は少し不服だったが,嬉しそうな母を見る父の顔も嬉しそうだったのでまあいいかと思った。結局,母は,僕がスプーンで口に運んだ分しか夕食をたべなかった。毎日こうなんだろうか?Hクリニックで血液検査をした結果,特に異常はないと聞いたばかりだったので,そんなに心配をする必要はないのかもしれないが。

 この日,何度も何度も母が「お父さん遅いね。・・・お父さんから電話があるはずなのに。」を繰り返し,父に電話をしようとしたので,僕は台所の目立つところにホワイトボードを吊り下げ,父に母への伝言を書くようお願いした。父は「お母さん(ハルミさん)え。山竹会(注;親睦会)に行きます。九時ころ帰ります(トシヒコ)」と書いていった。目立つところに吊り下げたが,母はやはり,「お父さん遅いね。・・・お父さんから電話があるはずなのに。」を繰り返した。僕は,何度も何度も「あ!お母さん,ここに書いてあるよ。」と言って母をホワイトボードの前に呼んで指し示すが,母はそのたびに「あ!ちゃんと書いてあるね」と言って納得した。何回目かに違うバージョンがあり,そのときは「何か,ていねいな書き方やね。」と大好評だった。