手のつけられない周辺症状

 うまくいくこともあるが,GPS作戦も,しばしば難航した。いつもとおり,夕方に母から電話がかかり,そのたびに僕は電話に出て,「明日迎えに行くから今日は先に寝ておいてね」とか「ハンペン楽しみにしておいてね」「もうすぐ帰るからね」とか言って,心を落ち着かせ,そのまま穏やかに就寝してくれることを祈るが,残念ながら,この日も,5回電話がかかった後に,母は,「父不審モード」で徘徊に出た。GPSで追跡して約30分後,父に近づいてもらったが,母は父に対し,「さっさと家に連れて帰って!」と怒っているらしい。父は母に電話で僕と話をさせるが,母は「どういうこと!!私が何をしたと言うの?お父さんは何を言うてるの?真人は何を言うてるの?頭おかしいとでもいうの!!」と怒りを爆発させてる。 だめだ,今日はまだ効果が出てない。やむを得ず,そのままの状態で帰宅してもらったが,22時半頃,案の定,父から「お母さん出てった。GPSは持たせた。」と電話がかかってきた。徘徊のやり直しだ。母はスーパーの方へ向かったが,時間が遅く,閉店しているので通過し,駅まで歩いて行った。やむを得ず,C子に出動を願い,C子が到着するまで僕はずっとスマートフォンの画面でGPSを追いかけていた。他方で,父には,家に電話がかかってくるかもしれないので家で待機するようお願いした。駅の近くのコンビニと思われるところでずっと止まっているが,家には電話はまだかかってこない。きっと,バイトの男の子は,認知症のおばあさんのわけのわからない言動に為す術もない状態なのだろう。
 駅付近をさまよっているところをC子が発見し,声をかけてようやく解決した。最初の徘徊から解決まで,何と3時間45分もかかった。・・・疲れた。C子もお疲れさま。
 当初は,一回の避難(約一時間),または一回の徘徊(約30分。避難より早い解決が見込めるのだ。)で,不穏が収まり,就寝することが多かったが,だんだんと一回の対応では収まらず,二回以上の対応が必要な日が増えてきた。

 ある土曜日。この日は夕方の電話は6回。それでも母の不穏は収まらず,やむなく父は外へ避難して「一人にして寂しくさせる作戦」を実行した。僕は,明日が日曜であるとの気楽さもあったので,母の好きなハンペンを買って車で実家に向かった。21時頃,父と一緒に家に入ったら母は「寂しいモード」になっており,僕たちは歓迎された。ハンペンを一緒に食べ,いろいろと楽しく話しもできたので今夜は大丈夫だろうと,安心して家(大阪・天満橋)に帰った。
 すると,22時13分,母から「すぐに来てほしいの」って泣きそうな声で電話がかかってきた。え?さっきまであんなにご機嫌さんだったのに?父からも電話があり,「あかん,出てった。GPSも投げ返してきよる。どうにもならん。」と言う(投げ返してきた?!)。まもなく父は母を見失ってしまった(なんで?!)。C子に助けを求めるべく電話をするがつながらず,やむを得ず,S太に先に寝ておくようにいいきかせて,僕は再び第二阪奈で実家(生駒市Z町)に向かった。約40分後,実家付近に着いたが,家にはまだ電話がかかってきてないらしい。一本一本,母がいないかどうか道を調べるが見つからないので,警察に捜索をお願いしようかと考えていたとき,23時半頃,父から電話がかかってきた。「警察から電話があった。今,こちらに向かっているらしい。」と言う。母は,いつもはあまり行かない方にずんずんと進んでおり,少し離れたY町で「助けて」と言って,ある家に飛び込み,驚いたその家の人が110番通報してくれたらしい。警察官がその家に到着し,母が手に持っている電話帳を見て電話をかけてきてくれたらしい。僕が実家に着いたときは,既に母は帰宅し,警察もいなかった。帰宅時,母は父に対し,「お父ちゃん!ちゃんと留守番できなくてごめんなさい。」と言ってたらしい(「お父さん」ではなく「お父ちゃん」?・・・)。

 GPS作戦も決め手とはならない。GPSを投げ返されたらどうしようもない。
「どうしよう?もっと何か根本的な対策を立てないともう無理だね」と父と話した翌日の深夜。午前1時過ぎに母から電話がかかってくると,さすがに僕は辛い。でも,父はもっと辛い。
 母が怒りまくり,家のどこに逃げても追いかけてきて怒鳴られるので,父はしばらくトイレに身を隠し,母が父を見失っている隙をついて,午前1時半頃外へ出た。僕は,父に「門扉の蝶番をかけ忘れないよう」電話で注意をした。これを忘れて家を出ると,知らない間に母も家を出ていく可能性があるから絶対忘れてはならない。 なお,この蝶番,当初は,門扉の外側上部に一つだけ付けていたが,ある晩,母は偶然この蝶番を見つけ,自力ではずして出ていったので,翌日,蝶番を二つに増やした。すなわち,手を門扉の上から外へ出し,上に付いてる蝶番をはずした後,更に腕を伸ばして,少し下についているもう一つの蝶番をはずさないと門扉が開かないようにしたのだ。
 避難するが,午前1時半過ぎであり,当然スーパーも居酒屋も閉まっている(坂の下の少し離れたところにある駅前のコンビニさえ24時間営業ではなく,閉まっている)ので,父が時間をつぶす場所はない。10月も下旬になると,深夜は寒いので,父は辛かっただろうと思う。
 僕は母の様子を探るために,実家の電話を鳴らしていたが,母は電話に出なかった。深夜に鳴り響く呼び出し音を怖がって電話に出ないのかなと思ったが,留守番電話の案内に切り替わらないので,電話機(ファックス兼用機)の電気コードを抜いているのだと思った。よって,母が「寂しいモード」になっているかどうかの確認ができなかったが,通常そうなるには一時間くらいは必要なので,20分くらい経過しただけで「そろそろ帰ってもええかな?」と聞いてくる父に対し「まだ早いと思うよ」と言った。ただ,父の声が寒そうで力弱かったので帰宅に同意した。
しかし,やはり,母はまだ「寂しいモード」になっていなかった。僕は父に,電話機の電気コードがはずれていないかどうかを調べるよう言った。すると,やはりはずれていたので父に元に戻してもらった。母は,明かりのついていない応接間のドアの直ぐそばの電話台の上にある電話機の緑に光るライトが気になるのだ。ライトの部分がだんだんと高温になり発火しはしないかと心配で,コンセントから電話機の電気コードを引き抜いていたのである。

 午前3時頃,父は「あかん。布団をたたんで,しまいはじめた・・・」と僕に電話をしてきた。電話の後ろで母が怒鳴っているのも聞こえた。僕は,父に「もう一度出るしかないね・・・。お父さん出て。C子にも来てもらうわ。」と言った。その後,父から「あかん。お母さん,ついてきよる。出られへん。」と電話がかかってきた。門扉に身体が当たる音と二人の声が聞こえるので,二人が門扉付近でもみ合いになっている様子が目に見えるようだった。
 僕は父に「母を家の中におびき寄せるから,その間に外へ出て!」「そのとき,蝶番二つともかけるのを忘れないようにね。」と言って,一度父との電話を切り,実家の固定電話の方へ電話をした。すると,期待したとおり,母が家の中の方から聞こえる電話の呼び出し音に気づいて家の中に入っていった。僕は,いつものとおり明るく優しい声で「お母さん?今晩は。久しぶりやね,元気にしているの?」「そうだ。明日,仕事ないからS太と遊びにいくね。」「そうそう。お母さんの大好きなハンペンを買ってあるから,明日それを持っていくね。」など,あらゆる言葉で,楽しい気持ちにさせようと試みたが無駄だった。しかし,父を無事に脱出させることには成功した。C子に連絡がとれたので,C子にも応援に行ってもらい,午前3時20分,ようやく母が「寂しいモード」になり,解決した。
 ああ3時20分か。今日はまだ平日なんですけど。と思いながら焼酎をグイグイ飲んで寝た。