GPS作戦

(初めて警察に助けを求めた日)
 「生駒市Z町1丁目2番3号。知ってますよね。」と落ち着いた静かな口調で電話がかかってきた。「昨日,ここに来たんです。見ると,俊彦は一人暮らし。家の中が散らかっており驚いてます。」「お父ちゃんに言われて来たんだけど,俊彦がかわいそうやし,手伝いにきた・・・」「・・あ!帰ってきたから切りますね。」と一回切れた。?。娘モード?。でも,父が息子か弟?に位置づけられていた。まあいいか,いろいろありうるからなと思いながら仕事に戻る。
 例によって何度も電話があり,何度目かの電話中に,母は父の携帯を持ったまま家を出てしまった。道を歩く人に助けを求めているのが電話を通して聞こえてくる。「後ろから変な人がついてくるんです。警察を呼んでください」と,母は叫んでいる。母が父の携帯電話を持っているので,父と話しができない!。そこで,僕は電話を切った後,C子に電話をしたが,仕事中なのか電話はつながらなかった。
 やむを得ず,実家の最寄りの警察署の電話番号を調べて電話をした。「すみません。実は生駒市に住んでいる母が認知症で・・・父と同居しているのですが,今正に母が家を出て徘徊していて,父が母を見失って・・・僕は二人の息子ですが大阪に住んでいるので,直ぐに向かっても一時間はかかりそうで,その間に母が見つからないと・・・こんなことで警察にお願いすることははばかられたのですが,ほかに方法がないので・・・」と説明すると,「大丈夫です。これも警察の仕事ですから安心してください。直ぐに探しに行きますから。ところで,お母さんの服装は?特徴は?・・」と言われてとても頼もしく感じた。
 僕は何度か実家の固定電話に電話をかけた。何度めかに父が出たので,父に,警察に助けを求めたことを説明し,警察か誰かから連絡があるかもしれないので,そのまま家にいて電話を待つように言った。

 家に戻って電話を待つというのは不安なことだが,母は,自分の名前は言えなくても(言えたとしても,たぶん「○○春美」と旧姓で名乗っているはず。),住所が「生駒市Z町1丁目2番3号」であることと,電話番号が「0743-○○-6789」であることが正確に言えたし,不思議なことに,徘徊するときには必ず電話帳(昔どこの家にもあったもの。五十音順にタグがついていてサイズも比較的大きい。)を持って出ていたので,それを聞いた人・見た人は,たいてい家に電話をしてきてくれるからだ。
 今までにも数度,電話をもらい,母を車で送ってきてもらった。そのたびに,父は大変申し訳なさそうにお礼を述べ,とても恐縮し,僕には,電話で,二度とこんなことにならないように母を見張ると力強く言うので,僕は,父をはげますために,「親切な人が多いねお父さん。明日一緒にお礼に行こう。こうやって知り合いが増えるのも楽しいんじゃない?」と言った。

 なかなか見つかったという電話はかかってこなかったが,30分くらいして,父から電話が入った。僕は,急な仕事の電話が入ってきた風を装って,会議室から外に出て電話に出たが「まだ電話あらへん。大丈夫かなあ。」という電話だった。一時間後,ようやく「お母さん帰ってきた。今,警察の人にお礼言うとる。」との電話が入った。警察の人に電話に替わってもらって僕からもお礼を言った。何度も何度もお礼を言った。うれしくて涙が止まらなかった。

(対策② GPS作戦)
 父も,少し対応に慣れてきて,母が不穏になりはじめたら,夕食のための買い物を兼ねて,「母を一人にし寂しくさせる作戦」を一人で実行することもあった。しかし,母が不穏になる時刻が夜遅い場合などは,父は,外への避難を嫌がり,奥の和室に避難して,母が僕に電話をしないように固定電話の電話線を抜いたりしていた。実際,奥の和室に避難している間に母が正気を取り戻して解決するということがあったとも思えないが,このころはまだ,父は時々一人で対応していた。
 いつも父を避難させ,外で時間をつぶした後で家に戻らせ,一人で対応させるばかりでは申し訳なく,また,父がうまく脱出できない場合があるので,そういう事態に備えて,GPSを使った対策にも慣れておく必要があると思っていた。
 小型化されたとはいえ,GPSはまだまだサイズが大きく,ひもで首にぶら下げるしかなく,ぶら下げる必要性を感じない母は直ぐに首から取るので,しばらくの間,GPSは使いようがなかった。母の服にピンなどで止めようとしたが重すぎて無理だった。そこで,父とあれこれ考えた結果,赤くて(母はとても赤色が好きと知ったから)小さくて可愛いポシェットにハンカチやティッシュと一緒に(住所と名前と電話番号を書いたメモも)入れて玄関に置いておいた。出ていきそうになったときに,「これ持っていきっ」て言って渡す作戦だ。家を出ていくときは,怒りまくっているときが多いから,これを持たせることが可能かどうか疑問はあったけど,いったん持ったら,途中で捨てることはないと思ったから(何でもモッタイないと考える傾向があることと,電話帳は必ず持ったまま帰ってきていたから)試す価値はあると思った。

 なかなかうまく行かなかったが,平成20年8月3日,初めてGPS入りポシェットを母に持たせることに成功した!。父によると,どうしてよいかわからず,思わず母にポシェットを投げたらしい。すると,母は本能的にキャッチして,ポシェットを持ったまま出ていったらしい。父からそのことを聞いた僕は,初めて,ココセコムを使い,パソコンの画面を見て母の動きを追跡した。
 母のことは心配だったが,ココセコムで追跡するのは初めての経験でもあり,何だかわくわくした。父に,「今,家の前の坂道を東へ(Hクリニックに向かって)下っているよ。」とか,「あれ?止まった。」「動かなくなった。」「あ,動いた動いた。逆戻り。今度はPスーパーの方へ行った。」など伝えて,遠巻きに母を見守ってもらった。一時間くらい経ってから,父が何気なく母に声をかけると,「お父さん!?よかったー。道に迷って帰れなくなったのー」と言われて万事解決。二人は仲良く家に帰り,僕は仕事を再開した。
 しかし,この日はたまたまうまく行ったが,父の尾行はやはり拙く,しばしば母にバレて事態を悪化させた。母は「不審者」(=父)が追ってくるので怖がり,追跡が続く間は一向に不穏は収まらず,母は人の家に飛び込んで助けを求めるのだ。慌てて父は,その人に事情を説明するが,母はその隙に逃げ出し,徘徊は最初からやりなおしとなった。要するに,徘徊の場合も,不審者の尾行が続くとその間は全く事態が改善されないので,しばらく放置する必要があるのだ。そこで,徘徊開始当初は父を母から離し,母から見えない場所に誘導し,途中経過は随時父に報告し,30分くらい徘徊した後,または母の動きが止まったときに,母のいる場所に向かってもらうことにした。

 たとえば,ある日の夕方,母は,ぐるぐる近所を回った後,実家の直ぐ近くにある創作料理店を訪ねていた(母の所在地を示すマークが,道の上ではなく,建物の中に入り込んで止まっていた。場所を思い出すと,たしかCoCoという名の店があったと思い出した。)。既に暗くなっていたところ,その店は店内の明かりが歩道に漏れているから,母が助けを求めて訪ねたくなった気持ちがわかるような気がした。父に電話をして店に向かってもらったら,母がしょんぼりと店内で椅子に座り,マスターからもらったお茶を飲んでいるところだった。母は父を見るととても喜び,喜ぶ母の顔を見た父は(きっと)泣きそうな顔になりながら母の手を取り,家に帰った。
 かようにして,何度か,母にGPSを投げ渡した上で,敢えて徘徊させて正気に戻るのを待つ作戦もとってみた。交通事故の可能性が全くないわけではないから,車道の方に向かったときだけは父に介入してもらって中断させたが,なるべく自由に歩かせることにした。
 父が僕に「お母さん調子悪い。今から,お母さんを外に出してもええか?GPSはもう持たせた。」と電話をしてくるので,僕は,パソコンの前に座ってゴーサインを出した。ただし,この方法では,僕がパソコンの前から離れられないし,僕がパソコンの近くにいないとこの方法をとれないので,僕は,いつでもGPSの位置を確認することができるようにするために,従前から使用している携帯電話に加えてスマートフォンを契約した。
 ただし,店とか公園とか目印となるものがない道を母が進んだ場合は,父への説明が難しい。父(当時75歳)に「中央公園の三本西の道を北に向かって歩いているところ」と説明しても,なかなか理解してもらえない。父も初めて通る道が多くて現在位置がわからなくなるから,父の現在位置から,どう進んだら母を見つけられるかを伝えることができなかった。父にもGPSを持たせたいくらいだった。そこで,後日,僕は,各戸の名前が記載されている詳細な住宅地図を買い揃え,これを見ながら,父に「お父さん,目の前にある家の表札に何て書いてある?。で,その隣は?」と聞いて父の現在位置を探り,その上で,父の進むべき方向を前後左右で指示して,母の居場所を教えることにした。

 この頃(平成20年8月頃)は,だいたい4日に1日くらいは夕方の電話もなく無事に過ごせるが,4日に3日は夕方に電話が頻繁にかかってくる。そして,その3日に一度は僕との電話だけで落ち着いてなんとか就寝するが,3日に一度は父が避難し(約一時間),3日に一度は母が徘徊(約30分)した後でないと,一日が終わらない。それでも,避難や徘徊は一日一回で収まっていた。しかし,平成20年の9月以降,それでは収まらない日が増えてきた。